ゆかこ(@yukako_lwtokyo)です。
2021年7月に15年勤めていた会社を退職し、脱サラしました。
ブログ訪問くださりありがとうございます!早速、プロフィールをご紹介しますね。
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基本情報
本人
ゆかこ(@yukako_lwtokyo)
アラフォー、女性
家族
旦那、長女(小5)、次女(小2)と4人暮らし
仕事内容
2021年7月脱サラ。個人ブログ&アパート経営(法人化済)。
性格
- インドア派
- 一人でいることが好き
- だけど、家族も好き
- めんどくさがり屋
- ロングスリーパー(1日9時間寝たいところを7時間半で我慢している)
得意な家事
片付け
苦手な家事
料理
ゆかこさんってこんな人
挨拶もまともにできない引っ込み思案な子供時代
わたしは父と母と妹の4人家族の長女として生まれました。
一言でいうと引っ込み思案な子でしたね。大人になった今でも、引っ込み思案の性質はあまり変わってないと思います。
でも、思考は男の子寄りで戦隊ものとか北斗の拳とかめっちゃ観てました。テレビっ子だったので、ずっとテレビをみてまして、テレビに集中しすぎて、親から怒られるのが日課な子供です。
そして、幼少期の悩みは「親となんだかうまくいかない」につきます。わたしの思っていることが伝わっているかんじがしないのです。理解されないつらさ。なんで、親なのに分からないんだろうという想いをずっと抱えてました。
特に父のことをとても恐く感じていて。
今でこそ普通に会話できてますが、仕事が忙しかった父は毎日とてもイライラ。それを敏感に感じ取ってしまうわたしはいつもビクビクしてました。夕ご飯のときはほとんど父はいなかったのですが、たまに一緒になると隣の席に座るのはもう嫌で、嫌で。
自分の意見を中々言い出せない。我慢しがち。負けず嫌い。自信ない。そんな性格の子でした。
音楽のテストでみんなの前で一人で歌わなければならなかったとき、緊張して声が出ない。みんなに馬鹿にされ、先生にも声を出してくださいと言われ、一人でかなり落ち込んだ記憶は鮮明に覚えています。みんなができることができない。
人に挨拶もまともにできませんでした。ピアノを習っていたんですが、先生に挨拶が毎回できなくて、親に小言を言われるというサイクルは何年やったか分かりません。
何が原因だったかというと、挨拶する意味が分からなかったんです。何のために挨拶するのか。相手に挨拶をすると気分もいいし、いい関係でいられるとういことは、正直、結構大きくなるまで分かりませんでした。怒られるからしかたなく挨拶するってかんじで、ちょっとしたひねくれものです。我ながらめんどくさい子だったと思います。
挨拶できるようになってきた中学生
そんなわたしも小学校高学年になってくると、人付き合いというものが理解できてきます。挨拶もこのくらいからまともにできるようになってきましたね。
中学生では吹奏楽部に入り、まさに青春。勉強と部活の毎日で、成長期もあいまって、ひたすら眠かった。眠たかったので、暇さえあれば寝まくって、また、親に怒られる、というサイクルです。ここは変わりません。
親から離れたい一心で頑張った受験
家~駅まで徒歩20分、駅~駅まで20分、駅~高校まで徒歩40分を毎日通う女子高生。高台にある田舎の高校で、進学校とは言われていましたが、中の中といったところ。比較的のんびりしている学校で過ごしました。
そこで、2年生になると、理系か文系かを選ばなければならないのですが、わたしは理系を選ぶことになります。他の教科より数学ができたから。単純です。わたしには国語の問題の意味がまったく分からなかったのです。テストで筆者の気持ちを問われると、そんなの本人に聞いてみないとわからないじゃないかと本気で思ってましたね。当然、国語の点数はまったく上がらず。
3年生になると、わたしも進路を決める時期にきて、研究者を目指すことになります。単純に研究者=白衣着ててカッコいい、理数系の方が得意だし、何か開発できて人の役に立てるならいいかなって考えでした。
そこからは受験です。高校時代の親の話を出していませんでしたが、この時期はほんとに親から離れたくて、離れたくて、一人暮らしをしたいという気持ち一心でした。
このころも父のことが恐いという意識は強くあり、母からも自分のことを理解してもらえないという不満がずっとあったのです。その反発心も功を奏して、大学には無事合格し、一人暮らしデビューをすることになります。
二度と戻りたくない大学生活
はじめての一人暮らしはほんとに楽しかった。自由で誰からも怒られない、解放されたかんじ。理想としていた生活です。幸い、友達もでき、大学生活を謳歌してました。
でも、しっかりとした挫折を味わったのはこのころです。
社会人になると学生に戻りたいな~という人もいますが、わたしはもう二度と戻りたくありません。そのくらいわたしにとっては絶望の時期でした。
大学4年生~大学院2年生までの3年間は研究室に配属されるのですが、わたしは研究者になりたいという将来の夢があったので、がっつり研究できる先生のところに希望を出しました。まじめです。夢にまっしぐらです。
そこの研究室は9:00~19:00がコアタイムで、でも、19:00なんて過ぎることがほとんどでした。若いし、できるだろうと思っていたのですが、これが結構きつい。研究って、100回やって1回でもいい結果がでたら、すごいって世界なんです。何回も何回も同じ作業の繰り返し、また、勉強がさらに難しくなってきて、周りに追いつけない。先輩も恐い。
この時期、何回泣いたかわかりません。毎日夜中までやっても、研究がうまくいかないのです。努力しても努力しても、結果が出ない。
はじめてでした。努力しても報われないことがあるんだということを身をもって知りました。
そうすると毎日大学に行くのがつらくなってきます。気づいたら、とうとう朝起きれなくなるところまできてました。一人暮らしなので、研究に時間を費やし過ぎてまともな生活ができてなかったのも原因です。
何日も大学に行けない日が続きます。おそらく合計すると研究室での生活のうち4分の1は大学にいけてなかったと思います。途中、病院にいって、軽度のうつ病だと診断されました。実家に戻り、休んだりもしました。
このままだと大学を卒業できない。研究者どころか就職もできなくなってしまう。中退する寸前でしたが、ここで就職活動がいい意味で気晴らしになったのです。
研究で結果を求めていたのとは別に就職という目標ができたことが気持ちの切り替えになりました。
そして、ぎりぎりで論文を書き終え、卒業できたわたしは、就職することになります。
仕事も結婚も育児も続けたい意思を貫く覚悟
このころにはもう研究者という夢はなくなっていました。むしろ見切りをつけて次に行き始めた時期です。OLをすることに決めました。
精神的につらい中、就職活動をして採用してくれた会社です。しかも、メンタルの不安があったので、実家から通えるところで就職を探していたのですが、希望通りのところで採用され、ほんとに拾う神っているんだってつくづく感じたときでもありました。
就職した会社はとてもアットホームで、年の離れた上司も対等に話をしてくれます。研究室で夜まで作業することが普通だと思っていたわたしは残業がほとんどなかったことに衝撃を受けました。夜、帰れる!!
先輩には飲み会に誘ってもらったりして親睦も深めることができましたね。すごくありがたかった。また、通えなくなったらどうしようという不安があったからです。でもアットホームな社風もあって、わたしは会社にかなり救われました。
仕事を続けたい。そういう想いが強くなってきたのもこのころです。
一方、恋愛の方はというと、付き合っていた彼氏はいましたが、そして、大好きだったのですが、まったくうまくいかないんです。相手からのプロポーズもあり、このまま結婚かと思っていましたが、楽しくないし、うれしくない。踏ん切りがつかない。なんだろうと、めちゃめちゃ考えました。
彼の性格はわたしと真逆で、いわゆるクラスに一人いる人気者タイプでした。たぶん友人たちに紹介したら自慢できる部類の人です。わたしにないものをたくさん持っている彼のことが大好きだったのですが、結婚となると決めきれない。
今思うと、気づいてたんですね。その彼と結婚しても幸せになれないと。彼と会話していたときに「お前の誕生日祝いは2年に1回でいいよね」ってさらっと言われたときが決め手でした。
この人と人生をともにしてもわたしは幸せにはなれない。好きでしたが、別れを切り出しました。苦渋の決断です。誕生日を祝うことが重要ということではなく、わたしを大事に想ってくれてないってことが伝わってしまったのです。
今の旦那さんとは、その後にお付き合いすることになりました。とても落ち着くし、わたしのことを大事にしてくれます。あの決断は間違ってなかった。悩んだかいがありました。
そして、今の旦那さんと結婚の話が出始めたとき、仕事をどうするかというテーマが上がってきます。見回してみると結婚、出産後も働いている女性社員が会社にいないのです。アットホームとは言いようで、昭和を感じる社風でもありました。出産後は辞めるというのが暗黙のルールになっていたのです。
転職という選択もありましたが、今まで働き慣れた会社。特に辞める理由もないのに、それだけで転職するのもどうだろうと。
今の会社で働き続けてみて、何か圧力がかかるようなら転職しよう。それからでも転職は遅くないという選択をすることになります。
結婚はなんなくクリアしましたが、結婚して数か月後で妊娠していることが分かります。ここからが勝負です。上司に相談→会社を続けたい意思を伝える→上層部に承認、が待ち構えています。
会社も今でこそ育児休暇など普通になりつつありますが、10年前はまだ普通ではなかったんです。認められないということだって十分ありえました。なので、事前に国の法律を確認するところから始まり、就業規則も熟読、引継ぎスケジュールをバシッと決めて、上司に申請したのを覚えています。
ここまで準備すると、会社も認めざるをえない。というか、もし承認されなかったら訴えるくらいの気持ちでいたので気概が違ったのかもしれません(苦笑
無事、育休取得、職場復帰をすることができました。
こころの安定を手に入れる
長女を出産してから3年後に次女を出産します。
とにかく今は子育てと仕事にまい進している日々です。でも、悩む時間は以前よりかなり減りました。こころが安定してきたのも大きな要因です。
時間はないけど、こころの安定はあります。ここちよく過ごせてます。10年前の自分に見せてあげたいです。大丈夫だよ、あなたは幸せになりますよって。
HSP(Highly Sensitive Person、非常に感受性が強く敏感な気質もった人)
ここでHSPの話を少ししたいと思います。5年前くらいに自分がHSP(Highly Sensitive Person、非常に感受性が強く敏感な気質もった人)なのだということを知りました。最近、SNSや書籍などで話題になっていますが、この気質のことを知ってかなり安堵したのを覚えてます。
父のことを怖がっていた自分は人よりかなり敏感だったのだと、そして、両親がわたしのことを理解してくれなかったのは気質の違いなのだと、拘束時間が長いのがつらいこともHSPが原因だと分かれば、納得ができます。
わたしは人よりできないのではなく、気質が違うだけなのです。
HSPで困っている方はたくさんいると思います。
わたしもHSPだけど、今の生活を手に入れています。できないことはないんです。
ただ、自分はほかの人よりもできないと思ってしまうと、思い込んでしまうと、遠回りになります。気質が違う、ただそれだけです。そう思って過ごした方が自分の機嫌がよくなることに気づきました。なので、他人と比べてできないなと落ち込むときは、気質の違いだよって自分に言ってあげるようにしています。
ブログの趣旨
現在は2人の子育てをしながら働いています。フルタイム正社員をしながらアパート経営の法人化まで行い、今は15年勤めていた会社を辞め、脱サラしました。これからはブログとアパート経営の二刀流で働いていきます。
こんなにサラッというと簡単にここまできたようにみえますが、心をすり減らした経験はたくさんしました。人生ここまでくるのに、たくさん泣きましたし、そのたびにたくさん工夫してきました。
10年以上仕事を継続できたわたしだったら、同じように悩んでいる人の役に立てることがあるんじゃないか、そう思ってブログを書いています。
バリバリ働くのはなんだか違うし、ゆるく働くのも違う、自分にちょうどいい、機嫌のよくなるところで過ごしたい、過ごしてほしいという想いがあります。
このブログは、わたしが程よい、ここちいいと思ったモノや役立つ思考法をご紹介していきたいと思ってつくっています。ご興味ある方はぜひぜひ今後もご訪問ください!